10年ちょっと前のことです。
65歳で会社を去った元役員がしばらくして僕の上司を訪ねてきて、こんなことをお願いしたそうです。
「無給でいいから働かせてくれないか」
上司が理由を聞くとこう言ったそうです。
「一日中女房といると息が詰まってノイローゼになりそうだ」
…
うーん、何という理由なんでしょうか。
でもわかるような気がしないでもない。
2006年のことだったと思います。
仕事先の依頼で、札幌市内の小さなホテルのこじんまりとした一室で開催された講演会を聞きにいきました。
講演者は藤倉さんという札幌市内の自動車関係の元社長で僕の全く知らない人でした。
そして藤倉元社長は、登場するなりいきなり大声で歌い始めたのです。
歌詞は良く覚えてませんが、
♪オーレは元気だぞおー
みたいな感じで。
なんなんでしょうか、この方は。
でも悪い印象は感じさせない方でした。
彼が何を話したのかほとんど覚えていないのですが、一つだけ何故か今でも頭の中にクッキリと残っていることがあります。
会社を去り、毎日が日曜となった藤倉さんは、奥さんに毎朝お弁当を作ってもらったそうです。そして、弁当を抱えて行く先は、
…
近くの公園。
日がな一日、来る日も来る日も何をやるわけでもなくその公園で過ごしたそうです。
それが我社の元役員のように奥さんのせいなのか
…
公園フェチだったのか、
鳩好きだったのか、
はわかりません。その話が何故か妙に印象的でした。
その数か月後です。
ある朝、北海道新聞を手に取ると、何と、
藤倉元社長の顔が1面にドカーンと載っていたのです。←1面ではなかったかも
新・夕張市長誕生の記事でした。
そうです。
毎日公園で佇んでいたあの藤倉元社長が、その直前に財政再建団体に転落していた夕張市の第6代市長になったのです。
そして、さらに驚かされたのはその4年後です。
1期務めた後の2011年4月24日に夕張市長選があったのですが、何故か藤倉現市長は立候補を見送り、
何と、同日行われた
市議選
に立候補したのです。
そして、公職選挙法第90条により市長職を失職し、市議選に当選し前藤倉市長は夕張市議になったのです。
これは当時かなり話題となりました。
極めて異例だったからです。
何故市長選を避け市議選に出たのか。
本人曰く、
「新しい町づくりの道筋がついた。今後は自らが議会に入って市民と行政を結ぶ」
ということだったらしいのですが、
無責任
という批判を受けると同時に、地元各マスコミはその真意を測りかねているようでした。
でも、藤倉元市長の退職者生活を知っている僕はこう思ったのです。
市長選に出れば落ちるかもしれない。
市議選の方が当選の可能性は圧倒的に高い。
敗れればまた無職になる。
そう考えた時に、
あの公園の日々の光景が目に浮かんだんではないのかと。
あの講演を聞いたのが10年ちょい前です。
その時には、定年退職もなかなか大変なもんだねー、などと他人事のように、遠い先のことだと思っていたのですが、
…
僕にも近づいています。
公園デビューの日が。
あと、ふた月半後に。
<追記>
藤倉さんは、2015年4月に市議会議員任期満了により政界を引退し、昨年7月にお亡くなりになったようです。お悔やみを申し上げます。
庭のツツジ?が満開になりました。札幌にもようやく春の足音…が。いや、油断するとすぐ冬になりますから。
〈追記2〉
藤倉さんの後の夕張市長がイケメン青年の鈴木さんで、今の北海道知事です。(2020年3月追記)
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