ウィリーは一昨日の朝、羅臼の道の駅の前でヒッチハイクをしているところを拾い、
薫別温泉遠征隊の一員としてヒグマ対策要員として参加してもらったのですが(←本人にはその任務は知らせていませんが)、
薫別行きがNGになった後、根室に行きたいというので標津あたりで別れました。
そして道の駅・摩周温泉でまた再会したのです。
高校生の頃ヒッチハイクで全国を旅していた時期があります。
かれこれ200台以上はヒッチしたでしょうか。
クラスメイトのイカリくんとヒッチハイクの旅に出た時のことです。
飛騨高山に行こうということになり、中央高速の入り口で大阪行きの引っ越しのトラックに乗せてもらったのです。
ところが名古屋で降りるつもりが降ろしてもらえず、
おまえら引っ越しの手伝いしてけや
と言われ、大阪まで連れていかれ引っ越しの手伝いをしたために、飛騨高山の旅が一転、山陽山陰の旅に変わってしまったわけですが
・・・
鳥取砂丘を見た帰りのことです。
丹波篠山の付近でヒッチハイクをしていたところ一台の白いベンツが50mくらい先で止まったのです。
微妙な距離です。
僕たちのために止まったのか、
あるいは何か別の用事で止まったのか。
とりあえず車のところまで行ってみると、
・・・
中が暗くてまったく見えません。
スモークガラスの白いベンツです。
・・・
もう少し人生に年季を積んだ頃なら、そんな車がいかにヤバいのかわかったのでしょうが、当時は何も知らない無垢な高校生だったのです。
僕らが近寄ると助手席のドアが開き、中から20代中ごろのパンチパーマ風のオニーさんが出てきました。
しかしその顔を見た瞬間に驚いてしまいました。
左目の下から口の下まで長く深い傷があったのです。
なんや
と、静かにオニーさんが言います。
どうやら僕たちのために止まったのではなく自販機でたばこを買うためのようでした。
イカリくんは危険を察知したのか少し離れたところに佇んでいます。
僕はさすがにちょっとビビりながらも、
京都方面まで乗せて行ってもらえませんか
とお願いしたのです。
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車内で何を話したのかはもう覚えていません。
オニーさんたちがどんな仕事をしてるのかも聞かなかったと思います。
ただ、お互いに若いということもあり僕たちはすぐ打ち解けました。
そしてわざわざ遠回りして京都駅まで送ってくれたのです。
そして、別れ際に傷のオニーさんがこう言ったのです。
もう二度と会うことはないと思うけど元気でな
・・・
別にこれといって珍しい言葉ではありません。
でもその時なにかジーンとくるものを感じてしまったのです。
そして、旅に出ると時々このシーンを思い出してしまうのです。
車の中での会話はまるで覚えてはいないのですが、流れていた音楽だけは鮮明に覚えています。
僕が大好きな吉田拓郎のアルバム「今はまだ人生を語らず」でした。
ウィリーは再び翌朝現れたのですが、雨が降っていることもあり(雨の時はなかなか車が汚れるので止まってくれない)阿寒湖まで乗せて行ってほしいとのこと。
結局、雨の中、阿寒で分かれるのを何となく躊躇っていたので足寄の道の駅まで連れてきて先ほど別れたのですが、別れ際にしんみりと言ってみました。
もう二度と会うことはないと思うけど、元気でな
と
・・・
なんか感じてくれたんでしょうか。
そんなことより松山千春の碑が気になっていたようです。
前の会社のモリヤマ君とフルヤ君を足して3倍にしたようなヒトでした。
あ、でも、車内で拓郎の「祭りのあと」がかかってる時に誰の歌かと聞いてきました。
きっと何か感じるものがあったんでしょう。
そこで、どんな音楽が好きなのか聞いてみると、
・・・
吉幾三だそうです。
ウィリーよ。
本当に35歳か。