熊本県水俣市まで来ています。
今日も日が暮れていきます。
湯の児海岸にも夜のとばりが下りてこようとしています。
♪いなかの堤防、夕暮れ時にー
NSPの「夕暮れ時はさびしそう」が聞こえてきそうです。
♪寄り添うヒトがほしいもの、です。
青の1号の窓からは、堤防の付け根の灯がぼんやり見えるだけです。
退職して人生のステージが変わったせいなのか、旅に出ているせいなのか、歳のせいなのか
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直近のことは良く忘れるんですが、
・・・
昔のことをよく思い出します。
バーボンのストレートが喉に沁みます
・・・
何故かセンチメンタルジャーニーな今夜のワタクシです。
先日「YOUは何しに」を観ていたら、昔バリ島の居酒屋で会った漫画家の深谷陽センセイが出てきたことを書きましたが
あの20年前の深谷センセイのイラストの
日付を見て思い出しました。
98年10月と書いてありますので、あれは2回目のバリです。
初めてのバリは前年97年の秋に行きました。何故覚えているかというと、帰国して2週間後にたいへんなことが起こったからです。
日本サッカー界が悲願のワールドカップという夢舞台に立てるかどうか・・・あと一歩のところまできたのです。
1997年11月15日夜7時。
僕と、会社の後輩の山谷は、急遽手配したチケットで札幌からソウル、シンガポールと乗り継ぎ、シンガポールの街を走るMRT(地下鉄)のクランジ駅に降り立っていました。海峡を隔てた国境の街、マレーシアのジョホールバルで翌日に行われる「世紀の一戦・VSイラン戦」を観戦するためです。
バリ島旅行から帰ってきてすぐなのでサラリーマンとしては厳しいものがありましたが
・・・
よく上司は許してくれたなあ。青山さんだったっけ・・・ササコさんなら揉めてただろうな
・・・
この一大事に比べれば微々たるものです。
しかし 肝心のチケットが手元になかったのです。 行けばなんとかなるだろうと日本を出発したのですが「既に完売」という報道がされていました。
地下鉄駅から徒歩で国境のジョホール海峡を越え、ジョホールバルの街に入った時には既に夜9時を回っていました。
街の入り口にあった一部屋1400円の安宿でチェックインを済ませ、夕食を摂るためジョホールの中心部に向かうと、かなり大きな屋台街に突き当たりました。
雑踏の中をうろついていたその時です。 山谷が驚いたように声をあげたのです。 学生時代のサッカー同好会の後輩二人と偶然にも出会ったのです。 彼らもチケットを持っていなかったのですが、翌日の会場でセルジオ越後氏から 明日朝に市内のデパートで当日券が発売されるということを聞いてきたというのです。
翌朝その場所に行くと、 果たしてそこはマレーシアサッカー協会の出先事務所でした。 僕たちは試合開始の12時間前に幸運にもチケットを手にすることができたのです。 もし、あそこで山谷が偶然にも後輩に会わなければ、 チケットは手に入らず世紀の一戦を見逃すことになったに違いありません。
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岡野のVゴールの瞬間、すぐ後ろで観戦していたJALのスッチーと熱い抱擁を交わし
・・・
初のワールドカップ出場という歴史的な瞬間をこの目で観た僕たちは、 夜中に 再びあの屋台街に戻ってサポーターたちと勝利の酒を酌み交わし、 朝5時発のマレーシア鉄道に乗ってシンガポールに向かいました。
そしてシンガポールの港から船に乗り換え、インドネシア領のバタム島へと向かったのです。 帰国まで1日あったので、どうせなら南の島で、水着のオネーちゃんたちを眺めながら、のんびり過ごそうと思ったのです。
レストランで朝食をとったあと部屋に戻り、 日本時間の9:30になるのを待って、山谷が部屋から会社に電話をかけだしました。
その直後、山谷が驚いたように声をあげたのです。
「えっ!拓銀が?!」
都市銀行として戦後初であり未だ他に存在していない、 そして北海道民としてはまさに青天の霹靂ともいうべき 「北海道拓殖銀行の経営破綻」 というまさに衝撃的なニュースを、 僕たちはインドネシア・バタム島のリゾート地にあるバンガローの一室で聞いたのです。 拓銀は僕たちの会社のメインバンクでもありました。
「こんな時にこんなことをしててもいいんでしょうか」
と、山谷がボソっと言いました。
いろいろなことが頭の中を駆け巡りました。 しかし、今何ができるわけでもありません。
それからベッドに横になりながらぼんやりとテレビを見ているうちに、二人ともいつしか眠ってしまいました。
ふと、物音で目が覚めると、開け放たれたガラス戸から風が吹き込んでいました。
ベランダに出てみると、外は雨と風のまるで台風のようなスコールでした。
眼下に見えるシンガポールを遥か20km先に臨むリアウ海峡の海には激しい白波が立ち、 椰子の木は折れてしまうのではないかと思うほどに激しく揺れ、 リクライニングシートにかけてあったバスタオルもベランダの隅の方に飛ばされていました。
僕はベランダのソファーに腰掛け、荒れ狂う風景をしばらくの間ぼうっと眺めていました。
それから立ち上がると部屋の中に入りガラス戸を閉めました。
外のざわめきがウソのように消え、静寂が戻ってきました。
テレビではまだ音声の消えたサッカーの試合が続いています。山谷は死んだように眠っています。
僕はテレビのスイッチを切ると、再びベッドに仰向けに横たわりました。 昨晩のことが頭の中をよぎりました。
そうだ。 日本は初めてのワールドカップ出場を果たしたのだ。
わずか数時間前のことなのに、遙か遠い昔のことのように思えました。同時に拓銀破綻のことも頭に浮かびました。 たいへんな時代が来るかもしれない。そんなことが頭をよぎりました。
しかし、今はワールドカップも拓銀も、みんなどうでもいいことのように思えたのです。
目を閉じると、ほんの少し前にバリ島のウブドの村で見た キラキラと黄金色に輝くライステラスの風景が目に浮かびました。 妙に懐かしく安らかな風景でした。
そして、耳の奥でかすかに聞こえる風の音に不思議な安心感を覚え、 僕は再び心地よい眠りについたのでした。
夜明けにはまだ早い湯の児海岸です。
もうすぐ新しい一日が始まります。
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View Comments (1)
こんばんは( ^o^)ノ 熊本県在住です。
ブログとても楽しく拝見させて頂いております!
私も、ほぼ同じ想いで会社員を辞めて、想いのままに日本一周をしました。
その時程、人生の幸せを感じた事は有りません!
しかし、今は嘱託社員として働いております。
自由に晩年を謳歌したものの、とどのつまり!
経済的理由により、仕事に就くこととなりました(笑)
今は、三年後に晴れて年金受給者として、再び自由な人生を掴むべく
ただただ仕事に禿げんで(笑)おります!
鹿児島、宮崎、大分と、探せば混浴は沢山有りますので・・・
今後の展開に、大いなる期待をしておりますよ(^_^)ノ
寒波襲来の折り、くれぐれもお身体御自愛下さい!
それから、余計な御世話かと思いますが、屋久島、種子島(日程はロケット発射に合わせて下さいね)、奄美、永良部、世論、沖縄も廻って頂ければ幸いに思いますm(_ _)m