口永良部島から屋久島に戻ってきました。
またタイムラグができちゃったんで、昨夕に続き朝も更新です。なんて働き者なんでしょうか。サラリーマン時代の4倍は働いてます。
朝です。
窓から一湊海岸が見えます。
なんか絵が飾ってあるみたいでしょ。
でも、今にも降り出しそうな天気です。
鹿児島行きが出航するのが午後1時30分。
少し時間があるので、せっかく屋久島まで来たので観光スポットの一つぐらいは行ってみますか。
どうも観光スポットというものが苦手で
・・・
ロンドン五輪でサッカーを観に行った時も、バッキンガム宮殿とかビッグベンとか、観光地らしきものはどこも行かずに帰ってきました。
どこか近いところはないかと、MAPで見ると、あのトモヨちゃんたち体育会系女子大生たちも行ったらしい
・・・
白谷雲水峡が30分ほどで行けそうです。
どんなところなのか。なにも調べずにとにかく行ってみます。でも縄文杉が近くにありますね。
こんな道が
やがて、どんどん急になり
うひゃー、こんなとこまで上ってきてしまいましたぜ。
な、なんと、雪です。
南の島に来て、こんな間近に雪をみるなんて思ってもいませんでした。
そして、到着です。
ところが案内看板を見ると、ここが到着地ではなく、ここからがスタートのようです。
かなりの数の車が停まっているのですが、皆さん冬山登山の格好をしてます。
手ぶらでぶらついてるのは僕だけです。
しかも、縄文杉まで4時間くらい歩くらしい。
とうことでさっさと退散です。
激しい雨になってきました。
いよいよ屋久島を後にします。
さらば屋久島よ。
また会おう。
ちょうど中間点あたりで見えてきました。
本土最南端の佐多岬です。
9日前にあの矢印のところから、この景色を見てました。
なんか遠い昔のことのように思えます。
桜島は・・・雲に隠れて見えません。
そして、一週間ぶりの鹿児島です。
暗くなってしまったので、港から近い車中泊場所はないかと探し、10分ほど走ったところにある多賀山公園に一晩お世話になりました。
この公園には東郷平八郎の墓と
像が建っています。
小学生が校外学習をしてたので、
この人何をしたか知ってっか?
と聞いたら、声を合わせて
バルチック艦隊に勝った人
と答えました。大切なことです。自分が生まれた土地のことを知っているというのは。
ちなみに、ちょうど10年前に仕事で愛媛の松山に行き、入った店のオネーちゃんに
松山市の人口ってどのくらいなの?
と聞いたら(↑当時で51万5000人くらい)、
えー・・・6000人くらい?
というので、
そんな少ないわけねーだろ
と言ったら、
じゃ、6億くらいかな(←世界第3位です)
・・・
そして、
松山って何藩だっけと聞いたら(←松山藩でした)
・・・
えー・・・薩摩藩?
・・・
うーむ。
ところが、不思議なことに
・・・
その翌日のゴルフ場のフロントのおばさんも
薩摩藩だったですかね
と言うし、
キャディーさんにも聞いてみたら
・・・
6000人くらいですか?
薩摩藩でしたっけ
・・・
と全く同じ答えが返ってきました。
まあ、その時ちょうどNHKの大河ドラマが「篤姫」だったんですが
・・・
人口については、ナゾです。
そして、すぐ下の祇園之洲公園には
薩英戦争の記念碑がありました。
砲台跡です。
この辺が戦争の舞台になったんですね。
世界の情勢をどこまで把握できていたのかはわかりませんが、当時の世界の大国に東洋のちっぽけな国の一藩がケンカを売ったんですから、その心意気はたいしたもんです。
そして、市内で買い物などをして、明日の硫黄島行きに備え港に向かって走っている時です。
信号で停まっていたら、道の向こうで誰かが手を振って僕を呼んでます。
鹿児島に知り合いなんていねーぞ、誰だ?
・・・
まあ、一応二人だけいるけど
・・・
FM鹿児島の田畑さんと前畠アナ。
でも、まさかこんなとこで会うわけねーし
・・・
と思ったら、
前畠アナでした。
しかし、鹿児島市内で今までスーパーとか福岡の田中さんと会った黒豚しゃぶしゃぶやさんとか屋久島フェリー乗り場などで、すれ違ったり会ったりした人ってたぶん100人はいないと思うのですが、
・・・
鹿児島の人口が約60万人だから、出会う確率は
・・・
1/6000くらいでしょうか。
こんなことってあるんですね。
ん?
また出演してくれってことか?
いつでもいーですぜ、前畠アナ。
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