2017年6月末に60歳で定年退職し、自作キャンピングカー青の1号(後2号)で日本一周混浴温泉の旅に出ました。
<日本一周混浴温泉の旅ルート>
- 細い青線:2017年8月-10月(北海道)
- 太い赤線:2017年11月-3月(本州~四国・九州)
- 太い青線:2018年7月-9月(東北・中部)
混浴温泉の旅は、9月5日未明に発生した北海道胆振東部地震を機に一旦終了し、新たな旅に出ることにしました。
テーマは
日本一周海岸線の旅。アフィリエイト収入で日本一周できるのか
です。
岩手県普代村まで来ています。
アフィリエイト残高:92,237円
普代浜海水浴場です。
とてもきれいなところです。
でも、シーズンが終わっているためか誰もいません。
山側には大きな水門が見えます。
おそらく東北大震災で大きな被害を受けたのでしょう。
すべてのものが真新しいです。
トイレは素晴らしくきれいで
ウォシュレットは最新型のようです。
バーベキュー用のテーブルまであります。
そして、不思議なことにwimaxが通じるのです。
人家らしきものは、
小さな小川の向こうにある建物が一軒だけなのですが。
この岩は、
津波で運ばれてきたもののようです。
水門の向こうに日が暮れていきます。
東の空が明るくなり
夜が明けます。
朝食を食べて寛いでいると、親子らしき二人とイヌがこちらを見ています。
おとーさんと、海心(かいしん)君です。
なんとここから見えるたった一軒のあの家で土産物屋さんをしているのだそうです。
村で建てた建物を借りて海産物などを販売しているのだそうですが、夏はヒトがくるもののやはりシーズンが終わると厳しいようです。
そして、おとうさんによると、あの水門こそが
東北大震災で村を守った普代水門なのだそうです。
当時村長があの水門を作ると言った時には、
そんなバカでかいものを作ってどうするんだ
と、村人や県から激しく反対されたものの、反対を押し切って作ったあの水門のおかげで普代村は救われたそうなのです。
NETで調べてみると、
過去の大震災・大津波で多数の被害者(普代村では、1896年の明治三陸地震で302名、1933年の昭和三陸地震で137名の犠牲者)を出した苦い経験から、村は津波から住民を守る防壁設置を検討、このうち普代水門は1984年に完成した。
(中略)
15.5メートルという高さは計画時に高すぎると非難を浴びたが、当時の和村幸得村長が
「2度あることは3度あってはならない」
「15メートル以上」
と譲らなかった。明治に15メートルの波が来たという言い伝えが、村長の頭から離れなかったからであるという。(ウィキペディアより)
和村村長が1987年に退任したときのあいさつの言葉です。
確信を持って始めた仕事は反対があっても説得してやり遂げてください。
そして、1997年に88歳で死去。
その14年後に大地震が発生し、大津波が普代村をも襲います。
しかし、水門の開閉装置が停電で作動しなくなったのです。
そのことを知った消防署の立臼さんは消防車で駆け付け、手動スイッチでゲートを閉じます。
その直後です。
凄まじい音と共に津波が普代川を逆流し、防潮林をなぎ倒し水門に一気に襲い掛かったのです。
津波の高さは20メートルを越え、一部は水門を乗り越えましたが民家には届きませんでした。
立臼さんはこう証言したそうです。
水門の高さがもう少し低かったら、村にはすごい被害が出ただろう。もちろん私の命もなかった。
水門です。
おとうさんに会わなければスルーしてしまうところでした。
水門の裏側に行くと、
和村村長の残した言葉の碑がありました。
2度あったことは、3度あってはならない。
胸が熱くなります。
この水門を再びくぐって海側に出ると、
おとーさんがやっているお土産屋さんの、きらうみです。
海心くんも手伝って
・・・
るのか?
煮干しを購入しました。
皆さま、素晴らしい普代浜海岸に、
そして、きらうみに
ぜひお越しください。
夕方に続く。
<収支報告>
昨日もありがとうございました。
一時ほどの勢いはありませんが、このくらいあれば十分旅が続けられます。
残高:92,237円+5,530円=97,767円
支出:1,000円
繰り越し:96,767円
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↑いつもありがとうございます。
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再び青森に戻ってくる来春を楽しみに待っています。
今回通り過ぎたところにも、
まだまだいいところはありますので、
またの機会に是非!
鶴瓶に乾杯みんなで観ました(^_^)
また きらうみ に来てくださいね♩今度は奥さまと(^^)