この物語は、札幌在住のサラリーマンが60歳で会社を辞め、トラックの荷台に小屋を建て、脳梗塞や痛風やヒグマに行く手を阻まれながらも、世界のどこかで吹いているという伝説の「青の風」を探し求めて未知なる旅を続ける壮大なファンタジー・アドベンチャーブログである。
- 〈第1章〉退職へ。人生第3のステージへの幕開け(2017年4月〜6月)第一話はこちら。
- 〈第2章〉日本一周混浴温泉の旅(2017年8月~2018年9月)第一話はこちら。
- 〈第3章〉日本一周海岸線の旅(2018年9月~2019年5月)第一話はこちら。
- <番外編>2018ロシアW杯観戦の旅(2018年6月)第一話はこちら。
- 〈第4章〉真冬の北海道厳寒の旅(2020年1~2月)第一話はこちら。
- 〈第5章〉夏の北海道ソロキャンプの旅(2020年6月~9月)第一話はこちら。
- 〈第6章〉日本全国島巡りの旅〈2021年3月~〉第一話はこちら。
※登場人物紹介
※これが青の3号だ(冬仕様)
詳しくはこちらまで。
※当ブログはリンクフリーです。画像等も人物以外は連絡不要ですのでご自由にお使い下さい。
(注)実際の行動とはタイムラグがあります。
青森県東北町まで来ています。
アフィリエイト残高:25,254円
おー、としや!
・・・
いえ、こっちでした。
会いたかったぞ。
*北九州の門司で会った職を辞して日本一周の旅に出たナイスガイです。
詳しくはこちら。
小川原湖畔にいます。
かつてはイトウも棲んでたこともあるこの湖は、
今年ついに日本一になりました。
すごいぞ
・・・
この湖畔にはいくつかの海水浴場があるのですが、
今いるこの小川原湖公園が全国1位、
わかさぎ公園が全国2位に選ばれたのです。
ちなみにその下は
・・・
- 3位 ジェットビーチ石狩(北海道石狩市)
- 4位 三沢ビードルビーチ(青森県三沢市)
- 5位 おたるドリームビーチ(北海道小樽市)
- 6位 石狩浜(北海道石狩市)
なんか馴染のある名前がばんばんありますが
・・・
北の海水浴場はなぜこんなに汚いのでしょうか。
そう言われてみれば目の前には海水浴客が一人もいません。
・・・
(注)寒いからでしょう、たぶん。
日本一の海水浴場でブログを書き、
ここで泊まろうかと思ったのですが、あまりに寂しいので夕方になって近くの道の駅小川原湖湖遊館に移動します。
さて、本州も最終段階に入りました。
2日後には大間のフェリー乗り場にいるはずです。
今後のルートを確認していると
・・・
ややや。
先日の豪雨で大間に向かう途中の橋が崩落して279号線が通行止めになってるようです。
どうやら山の中を迂回しなければならないようです。
夕食を食べ
おやすみハニー。
ぐうぐう。
朝です。
ブログを書いていると外が明るくなってきました。
お、車中泊らしき車がけっこう停まってます。
外に出て車中泊車の駐車位置を見ると
・・・
トイレの近くに固まってます。
青の3号だけがポツンと仲間外れになってます。
そんなにトイレの近くがいいんでしょうか
・・・
まあ、こっちには秘密兵器があるかんね。
・・・
(注)未使用品です。
朝食を食べ
すぐ近くのスーパーに寄って
買い物をし、
運転席にバッテリーを移動して
出発します。
電気がかなりピンチなのです。
今日は距離を稼ぐ必要がありそうです。
下北半島の根元を陸奥湾方面に向かって走り
北上していきます。
そして、いしだあゆみが歌ったブルーライトじゃない方の横浜の
・・・
砂浜海岸海水浴場に到着です。
おお、ここは前に来たことがあるぞ。
でも、海水浴場シーズンではなかったからかトイレが閉鎖されていて泊まるのを諦めたのです。
今はシーズン真っただ中だから大丈夫でしょう。
と思ったら
・・・
今開けなくていつ開けるんだ、ブルーライトじゃない方の横浜町よ。
コロナだからかもしれませんね。
お、向こうにトイレらしき建物が
・・・
廃墟になってます。
こんなにいいところなのにもったいないぞ。
↑2019年5月、海岸線の旅で撮影。
いつもお世話になる道の駅よこはまをスルーし、
むつ市街を抜け
田野沢ゆとりの駐車帯に到着です。
100㎞も走ってしまったのでバッテリーは満タンになったのですが、
どうもここで泊まる気にはなりません。
先に進みます。
大滝公園です。
裏にはこんな滝があっていいところなのですが
電波がまったく入りません。
もしかして、下北半島のど真ん中はどこも電波が入らないんじゃ
・・・
そして、むつ市営川内キャンプ場に到着です。
・・・
うーむ。
ただキャンプ場は閉鎖になってますが、トイレは開いてます。
そして電波も通じます。
ということで、ここの駐車場に泊まることにします。
<追記>
たまにコメントをいただく栃馬県出身の…まささんから昨日LINEが入り、
ゲルト・ミュラーが亡くなりました
と。
この写真は来日した時の国立競技場のものだと思うのですが、
釜本率いる日本代表と2試合やり、その一つを当時高校2年だった僕は観に行ったのです。
*後に2度バロンドールを受賞することになる若干19歳のルンメニゲ(兄)がゴールを決めて1-0でバイエルンが勝った。
だから、ゲルト・ミュラーは非常に親近感があったのですが
・・・
75歳か
・・・
合掌。
<収支報告>
謝謝。
残高:25,254円+2,710円=27,964円
支出:2,743円(スーパー)
繰越し:25,221円
職質シリーズ第9弾は再び道警です。
飲料水を補給しようと八雲のヤクモ飲料に到着し、ドアを開けようとしたら隣にパトカーが停まり、どやどやと3人のおまわりさんにあっというまに囲まれてしまいました。
直前の踏切を完全に一時停止しなかったので
ヤバ
と、思ったのですが
・・・
フツーの職質でした。
あー、よかった。
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View Comments (4)
どういうわけか三菱ダイヤモンドサッカーが放送されていなかった北海道では、動くカール・ハインツ・ルンメニゲを見ることはできず、サッカー雑誌の中の人だったので、一体彼のプレーのどこがそんなにすごいのかわからなかったのですが、adidasの広告キャラクターを務めていたので、部のジャージはルンメニゲモデルでした。
ゲルトミュラーが亡くなったとは。。。
これで1974のWcupの決勝の二人が亡くなったんだね。
あのクライフのトータルフットボールを始めたオランダとの決勝戦。
ミュラーの反転シュートには、現役サッカー高校生だった自分には衝撃的だったね。
あの時の西ドイツは最強軍団だった。
オランダも最強だったけど。。。
まさに爆撃機!
合掌。。。
むーちんさんのブログに取り上げて頂き、私のサッカーの師匠みたいなゲルト・ミュラーさんも喜んでいると思います。
74年西ドイツワールドカップ、あのクライフ率いるオランダとの決勝戦で放った決勝ゴールは、ゲルト・ミュラーさんらしい、コーナーを狙った低いシュート。今でも忘れません。
合掌。
度々すみません。
2006年に日本のメディア(朝日新聞)がゲルト・ミュラーさんにインタビューしたときの記事がありました。なるほど、と思わせる内容ですね。
ー以下ー
「僕の時代はストッパーに徹底マークにつかれ、その後ろにはスイーパーがいた。最低2人を抜かないとGKと1対1になれなかった。いまは横一線に並ぶ4バックが主流だから、楽だと思う。DFより一瞬早く動き出せば抜け出すのは簡単だ。DFが4人いれば1人ぐらいはぼうっとしている」
さらに「ペナルティーエリア内は僕の王国だった。そこでゴールに背を向けて素早く反転してのシュートが真骨頂だった。両足で自在にけれるから、DFは読むのが難しかったはずだ。先天的な本能だな」