この物語は、札幌在住のサラリーマンが60歳で会社を辞め、トラックの荷台に小屋を建て、脳梗塞や痛風やヒグマに行く手を阻まれながらも、世界のどこかで吹いているという伝説の「青の風」を探し求めて未知なる旅を続ける壮大なファンタジー・アドベンチャーブログである。
- 〈第1章〉退職へ。人生第3のステージへの幕開け(2017年4月〜6月)第一話はこちら。
- 〈第2章〉日本一周混浴温泉の旅(2017年8月~2018年9月)第一話はこちら。
- 〈第3章〉日本一周海岸線の旅(2018年9月~2019年5月)第一話はこちら。
- <番外編>2018ロシアW杯観戦の旅(2018年6月)第一話はこちら。
- 〈第4章〉真冬の北海道厳寒の旅(2020年1~2月)第一話はこちら。
- 〈第5章〉夏の北海道ソロキャンプの旅(2020年6月~9月)第一話はこちら。
- 〈第6章〉日本全国島巡りの旅〈2021年3月~〉第一話はこちら。
※登場人物紹介
※これが青の3号だ(冬仕様)
詳しくはこちらまで。
日本代表がオマーンに敗れて二日目の朝を迎えたのですがまだ立ち直れていません。
だから代表監督が森保になった時に
なんで森保なんだ。ダメだろ。クリンスマンにせい
と言ったのに
・・・
って妻しか聞いてなかったけど。
まあ敗因すべてが監督のせいではないとは思うものの、やはり監督の影響はかなり大きいのではないかと思うのです。
今から15年前の2005年3月25日の夕方。
僕は妻と共にイランの首都テヘランのアザディスタジアムにいました。
2006年W杯ドイツ大会のアジア最終予選のイラン代表との一戦を観に行ったのです。
周りは11万人のイラン人で埋め尽くされ(←しかも全員男)、
頑丈な鉄格子で囲まれわずかに空けられた日本人専用席には、
2階席からひっきりなしに空き缶や空き瓶など様々なものが投げ入れられ、
前の方にいた日本人サポーターのおばさんは、頭に瓶が直撃し、頭から血を流して倒れていました。
試合は前半25分に、当時バイエルンに所属していたハシェミアンにゴール前の混戦から先制点を許すものの、
後半21分に右サイドを駆け上がってきた福西のハーフボレーで1点を返し、同点とします。
しかしその10分後の後半30分に、その跳躍力から「ヘリコプター」の異名を持つハシェミアンにゴール前で高い打点のヘッドで逆転を許し、予選で初めての敗北を喫したのでした。
意気消沈したままバスに乗り込みテヘラン空港に向かった僕たちは、そのまま空港で深夜に飛び立つ関空行の便を待っていたのですが、
・・・
夜中の12時頃だったでしょうか。
試合を終えてヨーロッパに戻るハシェミアンやマハダヴィキア(当時ハンブルガー)らが空港ロビーに現れたのです。
そして、すぐその後にイラン代表監督も現れました。
W杯出場を争う日本に勝利したばかりの敵将です。
その姿は堂々としていて、空港のソファーで寝転んでいた僕たち日本人サポーターがとてもみすぼらしく見えました。
一緒に写真を撮ってもらおうかと思ったのですが、疲れ果てていたのでそのガッツもなく、
ただ彼らの姿を遠巻きにただボーっと眺めていただけでした。
あれから、15年後の歳月が流れ
・・・
再びその姿を見ることになろうとは。
しかもオマーンという弱小チームを率いて再び日本代表を破るとは夢にも思わなかったぞ。
ブランコ・イバンコビッチ。
敵将ながらあっぱれです。
↓こちらを一つだけクリックしていただくとうれしいです💛
コメント遅くなりました
長旅お疲れ様でした
ところで、極楽!蹴球パラダイスのネタかと思って、そっちを見てみると2月で止まっとる・・・
がっくりでした。でも、次のゲームに期待します。
自分はバックだったので、あの失点は「なんで、そこで。。。」と思ってしまいました。準備不足という面もあるのではないかと。
2006年ドイツW杯は、ラッキーにもF組の日本vsブラジルとブラジルvsクロアチアを観てきました。
ロナウジーニョの全盛期、ロカベルとの左ラインからの完璧な攻め。カフーがドリブルでオーバーラップ、中にいたカカの足元にドンピシャのパス。
でも、一番驚いたのは、近所に住んでいる人が、見知らぬ女性とスタジアムにいた事。。。でした。